2013年07月05日
NSAの通信傍受システム(2/5)
『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その2/5
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■監視システムに参加する日本
日本にも日本なりの監視システムへの関与の方法がある。2002年2月16日に「エシュロンに反対する国際集会」で講演したイルカ・シュレーダー欧州議会議員は、「日本はあたらしい加盟国」と指摘している(*7)。ドイツ、韓国、トルコ、ノルウェーとともに第三の加盟国として情報の一部を提供されている、というのだ。
実際、2000年11月8日に日本赤軍最高幹部の重信房子が大阪で逮捕された際に、外部の情報機関から警察に情報が提供された可能性が指摘されている。この突然の逮捕劇は、30年ちかくにわたって国際手配されていた大物が対象だっただけに、マスコミでも大いに注目された。そして同年11月24日付の「週刊ポスト」(小学館)は、その幻影を捉えたのは、世界規模の通信傍受システムではないかと指摘した。同誌掲載の『「IT諜報機関」に追いつめられた「55歳・重信房子」の誤算』という記事は、軍事ジャーナリストの神浦元彰のコメントで、重信容疑者が交信した電子メールが傍受された可能性に言及している。
この逮捕劇では、目撃者からの通報から内偵がはじまった、という報道もあった。しかし、空港の出入国審査官でさえ重信容疑者を再三見落としていたのである。ましてや国際指名手配の写真を日常的に確認する機会などほとんどない一般市民が、たまたま街で見かけた女性を「重信房子ではないか?」と疑い、わざわざ警察に通報するだろうか。捜査当局すらも、まさか大阪にいるなどとは想像できなかったというのだから、重信容疑者の足跡を追いかけていた情報機関からの情報提供によって内偵がはじまったと考えるほうが現実的だと私は考える。
日本の官公庁のなかで治安や防衛関係の情報収集活動をおこなっている機関に、内閣情報調査室、警察庁国際テロ対策室、防衛庁情報本部、そしてオウム真理教事件で有名になった公安調査庁などがある。このなかでも、警察庁国際テロ対策室は、海外で活動する過激派を調査しており、米国CIA、英国MI6、イスラエルのモサドなど海外の機関と情報交換をおこなっているといわれる。ならば、中東情勢に関心が深いCIAなりモサドから重信容疑者の情報が警察庁に伝えられた可能性は、十分にあったはずだ。もちろんこれは私の推測にすぎないし、週刊ポスト記事の憶測を裏付ける公式発表は一切ない。しかし、テロ容疑者の捜索方法を警察が開示することはありえないはずである。
日本がUKUSA秘密協定の「サードパーティ」であるとの指摘は、エシュロンがマスコミの話題にあがったころから存在した。1999年に成立したいわゆる通信傍受法は、秘密協定下での情報収集活動を円滑に進めるためという憶測さえあった。米軍三沢基地が信号傍受・分析(SIGINT:Signal Intelligence)の重要拠点であることも、ジェフリー・ライチェルソンが収集した米海軍公文書に記載されていた。
シュレーダー議員の指摘は真新しい内容を含むものではないが、欧州議会の議員が公の席でこのような指摘をしたことに私は注目したい。日本もけっしてナイーブな“被害者”ではないのだ。実際、北朝鮮の不審船に関する警告を日本に与えたのは米国であり、テポドンや核開発疑惑に関する情報もまた米国頼みだ。こうした現実がある以上、日本がUKUSA秘密協定になんらかの形で関与していることは、その是非はともかくとして、十分に考えられることである。それどころか、同盟国の情報のネットワークに一切関与させてもらえていなかったとすれば、安全保障政策的に大きな手抜かりがあったと見るべきだと私は考える。
■同盟国の監視
企業活動がグローバル化した結果、同盟国間の利害関係が複雑に錯綜する事態となった。東西冷戦構造の終結により、企業活動こそが国家間の主たる紛争テーマとなった。かつては東側諸国の外交官が欧米でスパイ容疑にかけられ、国外追放処分にあったが、現代では米国の外交官がフランスやドイツで産業スパイとして糾弾される時代なのだ。
米国ではクリントン政権時代に情報機関の役割が大きく変化している。クリントン大統領はCIAなどの情報機関に対し、米国企業の商談がライバル企業の贈収賄活動によって不利に進むことを阻止するために、経済情報の収集を最大の任務にするよう命じたのだ。そのことは、ジェイムズ・ウールジー元CIA長官がワシントンの外国人プレスセンターで2000年3月7日におこなった記者会見で触れている(*8)。この会見でウールジーは、外国企業や政府関係者を諜報活動の対象にするケースとは、第一に経済制裁を科している国の経済活動を把握すること、第二に化学物質やハイテク機器などの軍事利用を監視すること、そして第三に商談で贈収賄が介在しているかを察知することだ、と述べている。
日本が米国情報機関スパイの標的とされた事例としては、1995年6月に橋本通産大臣とカンター米通商代表(いずれも当時)の日米自動車交渉がよく知られている。CIAとNSAが日本側代表団の内部会話を盗聴し、カンター代表に毎朝報告していた、という疑惑が交渉の数ヶ月後に持ち上がったのだ。これは同年10月15日付のニューヨークタイムズ紙が一面でスクープした報道によるもので、日本のマスコミもすぐに反応し、10月18日付の読売新聞は「日米の信頼損なう盗聴疑惑」と題する社説まで掲載している。
もちろん日本とて、情報活動の“加害者”である点で例外ではない。たとえば1997年2月15日付の産経新聞の報道によれば、元ウォールストリートジャーナル紙記者のジョン・ファイアルカが自著に、日本政府が米国政府代表団の宿泊するホテルを少なくとも15年間にわたって盗聴していた、と証言する米国商務省高官2名のインタビューを収録した(*9)。おなじ著書のなかで、ニューヨークタイムズ紙が日米自動車交渉で米側が盗聴をおこなったと報道したとき、日本政府筋が懸念を示したこともジェスチャーにすぎない、と指摘している。
いずれにせよ、情報収集活動に関するかぎり、完全なクリーンハンドを持つ国などないということは、認識しておくべきだろう。
■エシュロンの成果
エシュロン問題を追及したスコット人ジャーナリストのダンカン・キャンベルの調査によれば、エシュロンによる通信傍受活動によって、過去10年に日本企業は9件の国際入札で米系企業に敗れた。そのひとつ、1994年にAT&T社が落札したサウジアラビアの電話通信網整備事業は、39億ドルに上る史上最大規模のものだった。時事通信社の当時の報道によれば、サウジアラビアの国際入札では、フランスのアルカテル社、日本のNEC、ドイツのシーメンス社などがAT&Tよりも低い応札額を出していたにもかかわらず、サウジアラビア国王に対するクリントン政権の働きかけが、土壇場の逆転劇につながった可能性があるという。
ダンカン・キャンベルはまた、米国当局の典型的な産業諜報活動の“成果”を二事例、さらに指摘している。ひとつは1994年のブラジル政府によるSIVAMと呼ばれるアマゾン川流域環境監視システム事業だ。当初はフランスのトムソン−CSF社が有利に商談を進めていたが、NSAのシュガーグローブ基地がトムソンとブラジル間の電話を傍受した。その報告を受けたクリントン大統領はブラジル政府に対し、フランス企業が賄賂を贈って受注しようとしていると警告した。総額13億ドルにもおよぶこの商談は、米国のレイセオン社が落札した。ちなみにフランス政府は1995年5月に在仏米国大使館勤務のCIA職員の国外退去を求めたが、これはブラジルでの商戦の報復とする意見がある。
SIVAM商戦とおなじ年、サウジアラビアでの航空商戦でも、欧州のエアバス社とサウジアラビア国営航空、サウジアラビア政府とのあいだで交わされたファックスや電話をNSAが傍受し、エアバス社側の贈収賄行為を察知した。このときもクリントン大統領がサウジアラビア国王に親書を送って警告し、数十億ドル規模の航空商戦は米国のボーイング社とマクダネル・ダグラス社が受注した。
1994年当時は、クリントン大統領が「ダラー・ディプロマシー」と呼ばれるほど積極的に国際商戦に関与した。米国の大手電気通信会社が、途上国での電話網工事を相次いで落札するという実績もあがっている。当時の報道(*10)では米業界の強力なロビー活動にしか言及していないが、その背後で米国の情報機関が支援していた可能性は十分にあるはずだ。
このような経緯を見ると、エシュロンの成果と役割の重要さを実感できるかもしれない。しかしそれは誇張であると私は考える。そもそも米国政府がたったひとつの情報収集手段に依存するだろうか。情報機関は複数の情報収集ルートを持つはずだし、あらゆる情報は、ほかの情報源から入手した複数の情報を用いて検証するはずである。国際商談ともなれば、多くの情報が交錯するのが当然であり、なかには情報操作を狙った意図的なリークもあるだろう。逆転の落札をえるまでには、さまざまな駆け引きや情報戦が展開されたはずであり、そのひとつの道具としてエシュロンがあった、ぐらいに考えるべきだと私は指摘したい。
(*7)『「日本もエシュロン加盟」欧州議会議員が指摘』共同通信、2002.2.16
(*8)"Formaer CIA director Woolsey delivers remarks at foreign press center", James Woolsey, 2000.3.7, http://cryptome.org/echelon-cia.htmで公開
(*9)『日本政府が米代表の会話盗聴 米大手新聞社の記者が発表』産経新聞東京朝刊、1997.2.15
(*10)『米国の電気通信会社、海外での落札相次ぐ』毎日新聞東京朝刊、1994.5.20
※この内容は執筆時点で確認したものである。また、書籍の内容はこのテキストから校正を経たものであるため、一部異なっている部分がある。
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