2013年07月05日
NSAの通信傍受システム(5/5)
『監視カメラ社会』(講談社+α新書、2004、絶版)の第二章「NSAとエシュロン」その5/5
■国際衛星通信の時代
国際衛星通信の幕開けは1963年だ。米国で同年2月に通信衛星法にもとづいてコムサット社(*30)が設立され、7月に米国で打ち上げられた人工衛星シンコム2号が大西洋上の静止軌道に置かれた(*31)。1964年に設立された通信衛星組織は、翌1965年、米コムサット社や日本のKDD(現在のKDDI)などの出資によってインテルサット(*32)という国際組織となった。同年4月にインテルサット1(アーリーバード)が打ち上げられ、本格的な国際衛星通信の時代に入った。1976年には米国企業が海事衛星通信サービスをはじめ、それをもとに1979年にインマルサット(*33)が発足した。この通信システムは利用設備が簡単に持ち運べることから、船舶や報道機関がひんぱんに使うようになった。
1960年代から70年代には、国際衛星通信は世界規模の重要な情報通信網であった。海底ケーブルの容量がかぎられていたため、当時の国際通信に占める衛星通信の比重は7割程度と推測される(*34)。STOA報告書によれば、コムサットが中継する国際通信の傍受は1971年にはじまった。エシュロン臨時委員会報告書でも、地上基地によるインテルサットの傍受は1970年代からはじまったとニッキー・ヘイガーは指摘している。傍受対象の衛星は拡大し、インマルサットなども対象となった。
欧州議会のSTOA報告書では、UKUSA諸国が情報収集目的で現在運営している衛星はすくなくとも120あり、うち40が西側諸国の国際衛星通信の傍受用だと推計している(*35)。EUがエシュロンを問題視したのは、政治的には同盟関係にある国々がEU域内の民間企業や個人の国際衛星通信の傍受に用いられている点だった。
ここでひとつの素朴な疑問が私には浮かぶ。衛星の打ち上げにはいちどに100億円単位の費用がかかるのだから、国際衛星通信はそこまでコストをかけてまで傍受せねばならぬほどの役割をはたしているのか、と。結論からいえば、1980年代までの状況なら答えはイエスであり、1990年代以降ならノーだ。すでに示したように、1970年代には衛星通信が国際通信の主要なルートであったし、1980年代当時は、VSAT(Very Small Apparture Terminal)に代表される衛星通信が、企業レベルで大々的に広がるという予想もあったのだ。
しかし、1990年代にはインターネットが普及し、光ファイバや同軸ケーブル(を用いたADSL)による大容量通信が拡大した。国際衛星通信はすでに「主役」ではない。結局、エシュロンという通信傍受システムは、1950年代・60年代のミサイル防衛、1970年代・80年代の国際衛星通信傍受を前提とした仕組みという性格があることは否定できない。
だからといって、エシュロンの脅威を過小評価すべきではない。この監視システムの中核は通信傍受衛星や衛星通信傍受基地などの「耳」にあるのではない。収集した情報をデータベース化・ネットワーク化した仕組みにこそあると私は考える。なぜなら、このような情報システムは、情報収集手段に関係なく機能するからである。衛星通信の役割は低下したとしても、インターネットなどから収集した情報を管理する強力なシステムは威力を発揮しうるのだ。
■SILKWORTHの開発
エシュロンに関する資料でNSAの「P285作戦」というキーワードを目にする。CANYONの成功によって人工衛星による宇宙からのCOMINTの役割が注目されたため、傍受の範囲を拡大させることが作戦の目的だ。その一環として、傍受した通信を地上基地で処理するためのシステム「SILKWORTH」(シルクウォース)が開発されたのである。
1960年代から70年代にかけて、世界規模で通信を傍受する態勢が築かれる一方で、収集された情報を分析し「ウォッチ・リスト」と照合する作業の多くは、手作業に依存していた。1980年代に入ると、NSAは「P415作戦」のもとで、情報の収集や分析作業のさらなる自動化を進めたのである。
それが意味するところは、世界各地の傍受基地とフォートミードにあるNSA本部とのネットワーク化、傍受した情報の転送、分析の基盤となるデータベースの共有などだ。1980年代にNSAとUKUSA諸国はEMBROIDERY計画として開発されたこの地球規模のネットワークを構築した。これにより遠隔地にいる分析者は各収集基地のコンピュータを利用し、結果を自動的に受け取れるようになったのである。分析のためのデータベースは「辞書」と呼ばれ、ここには特定の標的の名前や興味の対象、住所、電話番号などが登録される。機能はインターネットの検索エンジンのようなものだという(*36)。
かつてのエシュロン論議では、一般市民の会話が「辞書」に登録されたキーワードで自動的に走査されるかの論調が多かった。しかし実際には、キーワードに相当するのは、傍受した通信を分類するタグ(札)のようなものではないかと私は推測している。ニッキー・ヘイガーの臨時委員会での発言に、データを分類するコードの話がでている。たとえば日本の外交情報(Japanese diplomatic intelligence)であれば「JAD」といった形式だ。通信の発信・受信アドレス、中継経路などのデータは、たしかに登録を自動化できるだろう。しかし、コード化作業の多くは分析者に委ねられているのではないか。
とはいえ、こうした作業を自動化するための技術開発が進められていることは間違いない。実際、第4章で述べるTIAと呼ばれるDARPA開発プロジェクトは、情報分析者の支援ツールを築こうとしている。欧州議会報告書に描かれたエシュロン像は、1990年代のIT革命以降の技術的な環境から比較して時代遅れの面があるし、国際衛星通信を標的にするなど、通信需要の移行に対応していないかの印象を与える。しかし、NSAがIT革命を傍観するはずがない。すでにエシュロンの“更新”は進行中と考えるべきだと私は推察する。
■そして“新バージョン”へ
エシュロン拡張の経緯を見ると、情報収集面よりもむしろ、情報管理面で大規模なシステム化が進められてきたことがわかる。そして衛星通信だけでなく、NSAはインターネットも監視を進めている。検索ロボットとおなじシステムを持ち、ひんぱんにWebをチェックしている。また、1995年ごろから、インターネットのバックボーンの主要な中継点に「探知(スニッファ)」ソフトウェアをNSAはインストールしているという。収集された膨大な情報は、おそらくは衛星通信の傍受記録とおなじくデータベース化されるのだろう。
エシュロンを開発したのは国防総省のNSAだった。インターネットの技術的な土台の形成を主導したのは、おなじ国防総省に属するDARPAであった。21世紀に入ってから、やはり国防総省の主導で高度な監視システムが開発されている。エシュロンの“旧バージョン”は国際衛星通信を標的としていただけかもしれないが、“新バージョン”は監視の範囲を桁違いに広げようとしているのである。
回線のブロードバンド化が進んだ結果、インターネットを行き交うデータが激増しただけでなく、末端ユーザのインターネットの利用スタイルが変わった。さらに、マイクロチップの登場、位置情報システムの普及、画像処理技術の進化によって、コンピュータおよびネットワークの社会的な役割が激変しつつある。これらはエシュロンに、あるいは巨大な監視システムに、どのような転換をもたらすのだろうか。
また、通信の主役となったインターネットを監視しようとするのは、じつはNSAだけではない。インターネットを「不正」な目的で利用するのは、テロリストや犯罪組織以外にもいるからだ。いわゆるクラッカー(破壊者)もそうなら、一般の社会人、学生もまた、インターネットでさまざまな悪さを仕掛けることがある。したがって、インターネットに接続するサーバを管理する者は、利用者をどう監視するかという問題に取り組まねばならない。
(*31)この年の11月にはじめて日米間で衛星中継されたテレビ報道が、ケネディ大統領暗殺である。1964年8月に打ち上げられたシンコム3号は東京オリンピックのテレビ画像を北米に生中継している。
(*32) International Telecommunications Satellite Organization:国際電気通信衛星機構
(*33) Iinternational Maritime Satellite:国際海事衛星機構
(*34)第90回電気通信技術審議会(1996年5月27日)における関本忠弘氏の発言より。議事録はhttp://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/japanese/teletech/60702a03.htmlに掲載されている。
(*35)傍受にあたっていると目される地上基地に置かれたアンテナの数から単純に集計したもの。
(*36)1991年、英国のテレビ放送はGCHQのウェストミンスターにある「辞書」コンピュータの動作状況を伝えている。
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